「ペルソナ 脳に潜む闇」中野信子
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同年代で共感するところの多い、知的で素敵な女性。脳科学にまつわる面白い話を交えながらの自伝的なエッセイの様な本で、興味深い事や素敵な表現がいくつも書かれていました。
目次
脳の再構成
脳は毎夜、夢を見ながら再構成されている。
つまり、世界は、夜ごとに終わり、毎朝生まれ変わっているのだ。
今日の今現在の自分はかけがえがないし、明日の進化した自分はよりよい自分になっていたい。
脳科学の話は精神やトラウマ等の話題につながることはよくあるが、関連して、アレハンドロ・ホドロフスキーの「サイコマジック」という映画についても書かれていて、サイコマジックとは「フロイトの精神分析とは対をなす、行動を使った分析で、タロットを使って理解を深め、行動し、癒していくというもの」との事。ホドロフスキーについては全然知らなかったけれど、興味深く感じました。
私たちは海のかけら
私たちの体は、海のかけらのようなものなのだ。
人間の体液の組成は海に似ていて、最近の海は塩辛くなってきているから、人間は太古の海に近い…という話
「私の耳は貝の殻…」というジャン・コクトーの詩を思い出した。素敵な表現!
時間は人生の一部
時間はただの時の流れではなくて、寿命の一部である。
~中略~
過去のよく知りもしない人が勝手に作り上げてきた男性原理を覆すなんていうことのために、自分の、有限でしかない時間を、惜しみなく注ぐ気になど到底なれない。
時間を大事にしたいし、自分の時間をとても尊く感じるのは、時間が寿命の一部であるからなのですね。時間とは私そのものといっても過言ではないです。
そして、そんな時間を何に使うのかについても、激しく同意します。
女性の生き方の第三の道
女性は、「モテ」を狙うか、男性原理の中でキャリアアップを狙うかの二択しかないように思わされて育ってくるが、「第三の道」を私は選びたいと思っている。
こういった選択肢を明確に意識していたわけではなくて、ただどうやって生きればよいかの方法がないどん詰まり感しかなかったけど、私も第三の道を選ぶしかありませんでした。
一貫性はなくていい
ルールに従うことは、選択の自由を放棄している事と同じだともいえる。
ルールというのは、便利な側面もあるが、むやみに濫用すれば、人々は思考停止させられてしまう。
ルールに沿う事、一貫性を保つこと、そういうのを逸脱するとバッシングされる。でも本来、人間は自由という権利をもっているし、一貫なんてしていない多面的な生き物です。
さらに、人間はブレて迷い続けるものだとして、こんな風にも書かれていました。
私たちの正義は別に不変のものでも普遍のものでもない。ただ、集団として生き延びるために備え付けられている戦略の一つに過ぎないのだから、 わざわざそれを守ろうとして命を失う、なんていうことは愚かなことだ。
正義とか、価値観なんて常に変わり続けています。ただ、正しい事と美しい事はイコールではないけれど美しさに惑わされてしまうのは、注意すべき点かもしれません。
人間は一貫しているものではなくてそれでいい…ということは、本書の中で繰り返し述べられていました。
一貫した美しく正しい自己主張を持っていようとしがちですが、そんなことは無理だし無意味なんですよね。
話が合わないはいないのも同じ
どうしても話が合わなくなってくるから、それはもう、いないのと同じなのだ。
自分から付き合いを避けるようにしているのに喪失感で悲しくなることがあります。
それは、自分の興味が変わり話が合わなくなるからです。つまり、自分が原因なのだけど、自分の興味は自分でコントロールできるものではないから仕方がない。そんなことは自分が一番よくわかっています。
たかが話が合わないくらいでなぜ悲しいのか?と思っていたけれど、「いないのと同じ」なのだから、そりゃそうだと思ったフレーズです。
反芻思考してしまう事にも意味はある
うつなどの気分障害は、人生における諸問題を効果的に分析し、対処可能にするという目的のために生まれた、脳に備え付けられた仕組みの一つなのかもしれない。
~中略~
反芻的に思考するという習慣がなければ、人間は、ひとたび自分が困難な状況に置かれたとき、その苦境を脱することが難しくなってしまうのではないだろうか。
~中略~
抑うつ的反芻ができるということこそが、知性の反映であるのかもしれない。
反芻思考をやめられない事があるし、考えすぎるタイプの人間だと自分では思っています。また、うつ病などはなぜ進化の過程で消えずに残っているのか?必要な事だから残っているのだろう…ときいたことがあります。
この部分を読んで、考えすぎるのも程々にしておけば悪い事ではないと、少しホッとしました。
バイオアートについて
バイオ・アートとは、「芸術と科学の境界にある新しい芸術活動の分野で、科学の方法や技術を使って、人間と生物の関係を探求するものである」とのこと。
HEATHER DEWEY-HAGBORG(ヘザーデューイハグボルグ)の「ストレンジャー・ビジョン」は、煙草の吸い殻や捨てられたチューイングガム等から採取したDNAから、その人の顔を復元して3Dプリントするという作品です。
芸術・脳・最新技術のトピックはもっと勉強して追っていきたい分野だと思いました。
生き延びることが生物の基本
身につけた知識だったり、生きている誰かその人自身が何かの役に立たなくても別にいいのだ。 生きているということそのものが遺伝的多様性を保持し、遺伝子プールを豊かにするという意味で、種の保存それ自体に大いに役立つことだから。
女性は必ずしも産まなくてもいいという価値観は、少しづつ認められるようにはなってきています。
それでもまだ、産んだ女性が自分のことを誇らしげに語ったり、政治家が産む事をよしとする発言をしたりと、男女の区別なく女性が生きる意味を固定観念にはめたがり、そこから外れると非難される傾向はあります。
生きづらい。つらくて悲しい。自己肯定感が下がる。先進的な女性であっても、分かっているけどモヤモヤしてしまうというのが、まだ今のところの現在位置でしょう。
これは、この問題にかかわらず、多様性にかかわるすべての問題に通じるところもあります。
そんな中で、この言葉は、すべての人に共通して、生きるということに希望を与え、生きづらさを和らげてくれる心強い言葉です。
「その人に与えられた生を生ききった者が勝ち。生き延びるということ自体が大いなる達成」
女性の生きにくさ
女性の生きにくさは全然理解されていない。
美人は他の人よりも、人間ではなく記号やモノとして扱われる傾向が強くなる。
すると、部下や一兵卒としては良くても、管理職やビジネスパートナーとして適任であるとは思われにくい。
女に生まれているということが見えない「障害」になっていることを、どれほどの男性が意識してくれているだろう?
自分が美人だというつもりはないけれど、女性ならこれはすごくよくわかると思う。美人を好む男性は多いけれど、美人が好きなんじゃなくて、自分より下に見たいとか、もてはやされるものを自分の下に置きたいということなのだろう。
男社会でパートナーや仲間として対等に扱われている人を羨ましく思う事があるけれど、本当にそういうポジションを獲得できている女性はいないんじゃないかな。
ちょっとした場面で女扱いされるのが垣間見えてがっかりすることがほとんどです。いい意味での女扱いというものはほぼこの世に存在していなくて、女扱いということは、女性蔑視の意味が形を変えたものとほとんど同じです。それなのに、当の女性もそれに気づかず、女扱いされることを喜んでいたりしているのを見ると、そういうことを知らなかった昔の自分の恥ずかしさと共に、世の中に刷り込まれている当たり前に恐怖を感じたり、なんだか悲しくなったりしてしまいます。
男女は違うものである以上、差はなくならないけれど、上下差ではなく左右差の様な、よい形の差となる日がくることを願いたいです。
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