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【価値観の名言】手放すの反対は「真善美」ミニマリストの手放すとは?自分の価値観

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私は、持ち物が少ないミニマリストの暮らしっていいなと思い、生活においてなくてもいいものを使う事をやめては、「手放しました!」と言って、所有物を減らしてきました。

とはいえ、やっぱりあった方がいいかな?なんて心変わりして、一度手放したものを再び手にしたり…手放したと言いつつ、似たようなものでもっといい別のものがないか探していたり… 手放すってどういうことなのでしょうか?

という事で今日は、「手放し方」について、深堀して考えてみました。

「真善美(しんぜんび)」という考え方

「手放す」の反対は「持つ」で間違いないですが、コロコロとすぐに心変わりをして、色々なものを持ってみるのは、ものを粗末に扱う事にもなりかねません。

お金や資源の無駄遣いにもつながりますので、慎重になるほうがよいですよね。

そこで、もっと重々しい意味で「手放す」時、その反対語として「真善美」という考え方があります。

私は、手放すってどういう事かな?と、色々考えて、本を読んだり調べたりしている時に、この言葉をよく見かけるようになりました。

哲学者プラトンの言葉「真善美」の意味

真善美とは、古代ギリシアの哲学者「プラトン」の言葉だと言われており

<真>は、真実の真で、自分は何を信じるのか?
<善>は、善悪の善で、何がよいことだと思うのか?
<美>は、何を美しいと感じるのか?

という3つの価値観で、それぞれ、学問・道徳・芸術における目指すべきところだったり、人間の理想として普遍的な価値観とされていたりします。

もっといいものを!と目指すのは、この真善美を追求していくことですね。

真善美の基準

それで、当然ですが、真善美の基準は人によってそれぞれです。

自分にとっては何が一番真なのか?善なのか?美なのか? 迷ったり、選べなくて混乱してしまったときは、これに立ち返ってよく考えてみると良さそうです。

そして、どのような真善美の価値観を持っているか?という事は、自分を知る上でもキーポイントになる部分かと思います。

真善美と真我

さて、話は戻りまして、「真善美」は手放すの反対の言葉です。

「真善美」が、西洋哲学の普遍的な価値観であるなら、「手放す」は、なんなのか?調べてみると・・・

東洋哲学・仏教の普遍的な価値観である「無我・悟りの状態」ということに当てはまりそうです。

西洋と東洋で真逆というのが面白いですね。

それで、さらに、無我の逆。つまり、真善美にあたることを仏教では「真我」というのですが、 これは、意識の最も深いところにある根源を意味するそうです。

「手放す」の理解を深める

ようは、自分の本質。自分を知る事です。

結局、真逆ではあるのですが、言っている事は一緒。

「手放す」について、実践してみて、失敗して考えたりして、仏教や哲学といった先人の知恵にも触れて… 外から見たら、やっている事はたいしたことなくて手放せているかどうかも危ういですが、少しは、手放すという事の意味が分かり、理解を深められた気がします。

まとめ:自分を知る事

ということで、私なりにまとめると。

「自分の価値観としての真善美を確立する事」そして 「物への欲を捨てて執着しない無我の心の状態にする事」、 とはいえ 「このどちらにも極端に走らず、中道を行く事」

現実的な態度としては、仏教の基本的な考え方でもよく出てくる、両極端に偏らない ほどほどに~という具合がよさそうです。

ただし、程々がどこかを知る為には、両極端を知っている事は必要で、その方法が、真善美と無我を追求する事。

つまり、自分を知る事かと思います。





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