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「新生」島崎藤村

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クズな人だという評論を聞いていたけれど「夜明け前」「破壊」は教科書で読んだりあらすじを確認したりしてよい作品だという印象があり、「若菜集」に至っては計算しつくされた韻の踏み方や言葉選びのセンスが素敵だなと思っていました。

それで、内容はだいたい知っていたけれど一応読んでおこうと思い、この「新生」を読んでみた次第です。

感想を一言で表すと、とても闇深くて考えさせられることの多い小説でした。

人間にはいろいろな面があるので、考え方や行動について良し悪しは言い難いです。生い立ちや環境や境遇や時代背景とか、生まれ持った性格やら血縁やら病的なものなど、人それぞれに逃れられない背負っていかねばならないこともあります。

頑張っても頑張らなくても、運命の波に飲みこまれてどうしようもないこともあるでしょう。

とはいえ、社会的に正しい事とは何か?人として正しい事とやってはいけない事とは何か?幸せとか愛とは何かについて考えさせられ、読了後しばらくは重たい気持ちを引きずって苦しかったです。

奇しくも世間では、大手芸能事務所の性加害問題やパワハラや数々の不倫問題など道徳観についての再考を突きつけられる事象が続けざまに起こっており、この小説に書かれている事の本質は、それらの事とつながっているように思います。

何十年何百年経っても解決できていないこれらの問題を生み出す人類の腐った根っこの様なものについて、自分なりの解釈や答えを持っておきたいので、時間をかけてもっと色々な本を読んだりして、考えていきたいと思い、この本を読んだことでこういう気持ちになれてよかったです。

彼はクズ人間なのか?私はクズ人間ではないか?

「新生」は、実在するモデルがいる島崎藤村の自伝的な小説で、彼のとった行動・逃避・暴露などは非難に値すると思います。

みんなが彼の様な行動をとったら、世の中の秩序は乱れ、誰も信じることが出来なくなり、地獄と化すでしょう。私の価値観として、それらはNGです。

ですが、程度の差こそあれ、自分の欲望を制御できないとか、自分に都合の悪いことから逃げるという種類の事は誰もがやってしまったありますよね。身近な人でそういう人っているなぁというのも思い浮かびます。

なので、人類共通の駄目な特性として、それを突きつけられるようで、彼の行動や考え方を100%は非難できない。

島崎藤村ってクズな人間だと思いつつも、「お前はどうなんだ?道徳に反することを一切していない清廉潔白な人間か?」と突きつけられる様な心苦しさも同時に感じました。

それから、下記の記述は現代に起こっている事あらわしているかのようでドキッとしました。

世には法律に触れないまでも見逃したい幾多の人間の罪悪がある。社会はこれに向かって制裁と打撃とを加えねば成らぬ。
新聞記者は好んで人の私行を摘発するものではないが、社会に代わってそれらの人物を筆誅するにほかならないのであると。
こうした目に見えない石が自分の方へ飛んでくるときの痛さ以上に、岸本は見物の喝采を想像して見て悲しく思った。

人の分かり易いクズな行為を責めることは簡単だけれど、みんなでその人に石を投げる行為はやってもよいものか?これはまさに今、SNSの炎上が多発している事そのままです。

文章の上手さ

文章が上手いとか、優れた芸術を生み出すとか、社会的に成功しているとか、世の中に役立つ実績があるとか、見た目がよい人に見えるとか…その人の「良いところ」は色々あります。

何か良いところがあると、その人の人間性すべてが良い人かのように思ってしまうけれど、見えているのはその人の一部分です。人としての人間性が本当に良いかどうかは判断できません。それなのに、人って、目立つ特徴に引っ張られやすくて簡単に騙されてしまう傾向があります。

私には島崎藤村が本当はどんな人なのかはよくわかりません。直接会ったこともないし、話したこともないし、数冊の著作を読んだ位で一人の人間の何が分かるのでしょうか。

道徳に反する事をした点において悪い印象が強くありますが、彼の文章は上手くとても読み易くて、 読み進めると止まらなくなり、ところどころに弱さを素直にさらけ出すようなところには、人として憎めない魅力すら感じてしまいました。気になった表現などはこんな感じです。

親切にいろいろなことを教えてくれる友人にまで、隠さなければ成らない暗いところのある自分の身を羞ずかしく思った。
丁度あの囚人の姿こそ自分で自分の鞭を受けようとする岸本の心にはふさわしいものであった。目に見えない編笠。目に見えない手錠。そして目に見えない腰縄。実際彼は生きて還れるか還れないか分からない遠い島にでも流されていくような心持で、新橋の停車場のほうへ向かって行った。
自分さえ黙っていれば、黙って、黙ってーそう岸本は考えて、更に「時」というものの力を待とうとした。もとより彼は自己の鞭を受けるつもりでこのたびに上って来た。
『この世にあるもので、一つとして過ぎ去らないものは無い、せめてその中で、誠を残したい』ッて。僕は岡君にあの言葉をすすめたいと思うね
情熱あるものといえども、真にその情熱を寄すべき人に遭うことは難い。
何故、不徳はある人に取って寧ろ秘かなる誇りであって、自分に取ってこんな苦悩の種であるのだろう、と嘆いたことさえあった。この一年あまりというもの、彼は旅に紛れることによって、僅かに心の眼を塞ごうとして来た。

やっている行動は、そこいらの人に比べてはるかに不徳な行動であるのに、それについての苦悩を人一倍感じており、悩みについて真摯に向き合っていると…なので、その行動はむしろ不徳ではないかの様に思えてきてしまいます。純粋なのでしょうか?策略なのでしょうか?モヤっとします。

言っている事の内容や人として嫌な気持ちを抱きつつも、気づいたら納得させられてしまう様な、深みにはまると不味いぞと感じるけど引き込まれてしまう様な巧妙さがあると思った箇所がいくつもありました。それから…

岸本は、あの病人の個性というものをよくも見極めずに唯病気のみを診断しようとする医者のような人達から一口に自分の行為を審かれることを非常に残念に思った。
「どうせ人間の為ることだ」と岸本はそこへ自分を投げ出すように言って見てはよく独りで嘆息した。

あぁ結局、普通の人たちと違う感覚のあってそれを分かってもらえないつらさという点については共感してしまいます。

逃げる人の心境

自分が悪いのに逃げる人っていますよね。私は正攻法で向かって行きたいタイプなので、そういう感覚を想像しにくいのですが、主人公の岸本は典型的な逃げるタイプの人間なので、少しだけ、その思考回路についての理解が深まりました。

陰ながら彼は節子に願っていた。旅にある自分のことなぞは忘れて欲しい、生先の長い彼女自身のことを考えて欲しいと。

忘れて欲しいなんていうのは、単に逃げたい・なかったことにしたいという実に身勝手な願望です。

それから、ほんとうに自分勝手すぎると感じたのは、その逃避行を彼の視点でとらえるとこんな風に思っていたという以下の表現です。

長い限りのない悪夢にでも襲われたようにして起こって来た恐怖ー
親戚や友人に対してさえ制えることのできなかった猜疑心ー
眼に見えない迫害の力の前に恐れ戦いた彼のたましいー
夢の様に急いで来た遠い波の上ー
知らない人の中へ行こうとのみした名のつけようの無い悲哀ー
何という恐ろしい眼に遭遇ったろう。何という心の狼狽を重ねたろう。 何という一生の失敗だったろう。この深い感銘は時と共にますますはっきりとして来ることは有っても、薄らいで行くようなものでは無かった。

自業自得の結果なのに、悲劇のヒロイン気取りでこんな風に言えることが、(悪い意味で)凄いです。

それでも愛は分からない

私は、愛とは愛される事ではなく愛する事だと考えています。なので、他の人から可哀そうに見える恋愛も、当人たちにとっては幸せな事だったりするというのはありえるでしょう。

この点において「新生」は、だいぶ年上である男性の岸本目線で書かれたものですから、幸せな恋愛だと言う節子の心の中の本当のところは分かりません。

節子の同性という観点から、心の中を想像しやすくはあり、共感する点も多いですが、それにしても切なく感じたところが多数ありました。

叔父さんのことを思い、自分の子供のことを思う度に、枕の濡れない晩は無いと書いてよこした。 そんなに叔父さんは沈黙を守っていて、この自分を可哀そうだと思ってはくれないのかと書いてよこした。
岸本は何よりも先ず節子の率直な告白をうれしく思った。「創作」という言葉でもって二人の間の結びつきを言い表そうとしてあるのにも心を曳かれた。

好きな人に対してメンヘラになってしまう事って好きだからこその行動だし、好きな人と協力して何かを創作したいというのも愛ある行いで、恋愛によって得られるかけがえのない経験でしょう。

でも、現代の恋愛とか結婚について考えてみると、お金とかいい生活とか承認欲求を手に入れたい為の行いという側面が強いのではないでしょうか。

岸本と節子が「創作」という精神的な行いによって心を通わすことが出来ていたならば、それは幸せで素晴らしい事なのかもしれません。とはいえ・・・

日頃「親の面汚し」のように言われている節子

現実はつらいもので、世の中のほとんどの人は、一般的な価値観で普通の暮らしをする事こそが幸せだと信じて疑う事を知らないのでしょう。それから、今なら人権侵害ともいえるこんな表現もありました。

どこの誰だって、女と生まれて来て、今日お嫁に行かないようなものは無い。もしあれば、そんなものは片輪だ。
~中略~
結婚しないなんてことは人間の仲間に入れないことだ。

えぐすぎます。この時代の差別や偏見や固定観念は酷いものだったと心が痛みます。
そんな時代背景の中で、このような恋愛を貫こうとするのは相当の覚悟を必要とする事であっただろうと想像します。

最後まで忍ぶものは救われるべし、自分は今可成張りつめた心でいられるとも書いてよこした。

後半は、耐えることが愛だとなってしまっているような危うさを感じて切ないです。
その一方で、岸本の節子を思う心って、どういうものだったのでしょうか?

自分は大兄に節子のことをよく知っていただきたいためばかりでなく、輝子にもそれを知って置いて貰いたいと思い、それでこの手紙を持って行って貰うことにしたと書いた。

と言ったりしつつも…

旅にある自分の心は、節子をして一切の旧い記憶から離れさせたい、自分のことなぞは忘れて貰いたい、そして彼女の身を立てることをかんがえさせたいというにあったと書いた。

と言ってみたりして…結局、こんな風に節子のせいにしています。

すべては皆彼女の破滅を傍観し得られなかったところから起きて来たことだ

なので、兄からもばっさりとこんな風に言われています。

相手方の生活を保証することによって不徳を遂行せんとする形跡あるは言語道断なりと言うべし。

岸本については言語道断なんだけど、節子も頑固というか…

強烈な威圧の力も結局小さなたましい一つをどうすることも出来ないということをも感じられた。

そしてさらに、節子自身こんな風に言っています。

母子の愛情ですら私どもの創作には比較にも成らないような気が致します。 これほどの創作が肉体と共に滅びてしまうようなものとは、どうしても考えられません。 『神もし選び給わば、死して後なおよく愛することを得べし』とか。

恋愛って当人同士にしか分からないものですね。

でも、クズな人間に振り回されて自分の人生を棒に振るのはナンセンスです。恋愛は人の頭を馬鹿にしてしまうので気を付ける必要があります。

そしてやっぱり、道徳に背く行為はよくないし、自分の力や知恵を弱者に対して悪用したり、自分の都合の悪い事から逃げたりすることも卑劣な行為です。

ですが、クズに見える人間と私は同じ人間という生き物で、人間に本質的にそういう部分を誰しもが持っていて、環境とか運命とかによって抑えられなくなる可能性がある事を否めません。

私は自分がそういう行いをしないようにしたいです。そして、そうならない為には、そういう人に近づかないようにし、関わらざるを得ないとしてもなるべく離れるようにするしかないのかもしれない…これが、今のところのわたしの中の答えです。



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