ミニマリストって怖い?異常?行き過ぎた片付けの悲惨な末路
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「ミニマリストってなんか怖い」と思う人もいるようです。
経済成長期に大量生産大量消費がよしとされ、モノをたくさん持っていたいという価値観が普通だとされてきたので、少ないもので暮らしたいという考え方は異常だと映るのかもしれません。
でもこれは、「ミニマリストはものすごく少ないモノしか持たない人」という間違ったとらえ方からくる誤解で、ミニマリズムの本来の考え方は、「自分にとって必要な量のモノを所有する」ということなので、所有しているものの数が少なければ良しとする考え方ではありません。
ですが、自分にとって必要な量を探るために所有物の処分を始めると、あれもこれも捨てたくなってしまうことがあります。
私もだいぶ持ち物を減らしたので、気持ちはよく分かります。
片付けやモノの見直しをすることは悪いことではありませんが、行き過ぎて感覚が麻痺してしまい、異常にモノが少ない部屋で平然と暮らしていると、確かに、ミニマリストって怖いとか不気味な感じがしなくもありません。
ただし、これはミニマリストに限った話ではなく、行き過ぎた行動すべてに当てはまることです。
常識からあまりにもかけ離れていくと、理解できないことから恐怖を感じます。
こうなると、生活に支障をきたすことも考えられます。そこで、行き過ぎたミニマリストの悲惨な末路についてまとめてみました。
行き過ぎたミニマリストに対して怖いと思う点
行き過ぎたミニマリストのどのような行動について怖いと思うのかをあげてみると
- なくなると不便になるものまで処分する
- 同居人や家族のものまで捨ててしまう
- 他人の意見に耳を貸さない。
- ミニマリズムがすべてで、唯一の正しいものと思い込んでいる
- モノを減らすこと以外に楽しみがない
繰り返しになりますが、このような行動は、本来のミニマリズムではありません。
何かに取りつかれたようにモノを手放していき、自分の価値観を押し付けてきたり、人のものを勝手に処分したりしてしまう人は、「怖い」いですよね。
ミニマリズムとは、考え方や生活スタイルの一つなので思想です。この意味では、宗教とにているため、あまりにも夢中になって周りが見えなくなると、変な宗教にのめり込んでいる人と同じにみえます。
また本来は、自分の人生を自分らしく楽しむためのミニマリズムですが、手段が目的となってしまうと、モノを減らすことやミニマリストになることが人生の目的になってしまっている人も怖さがあります。
色々な経験をしたリ人として成長することが人生の楽しみであるはずなのに、モノを減らすことしかしないのはおかしいですよね。
ミニマリストを目指す気持ちからこの様な行動をしてしまっている人は、行き過ぎで盲目的になっている節があります。
理性的な判断ができない状態ですから、端から見ると怖いと思ってしまうのです。
ミニマリストになるのをやめた事例
ミニマリストを目指して最小限のもので暮らそうとしていたけれども、やっぱりミニマリストになるのをやめたという人もいます。
最小限になるまで捨てたいと思っていると、なかなか実現するのは難しいです。
そうなると欲求不満状態になるし、「幸せになるために捨てたい」というよりも、「早く捨てなければ。」という追い立てられるような気持ちになってしまいます。
大げさに言うと、「幸せになる為にミニマリストになる」はずが、「ミニマリストをめざして不幸せになる」という事です。
物にとらわれずに生きるはずが、いつも物の事を考えているという本末転倒な事が起こります。
ミニマリストはやめた理由。
コチラのブログの著者は、モノを減らそうとしても家事・子育て・仕事・遊びなどで、すぐに捨てられないものが多かったとのこと。
おそらくそれらは、なくなればすっきりするけれど必要なものだったのかもしれません。
辛い気持ちになったり不幸になるのであれば、やめて正解だと思います。
辛いのにミニマリストになろうとすることをやめられないのであれば異常です。
これを見た時に、本来のインテリア好きの血が沸々とわき上がり、ミニマリスト生活に終止符をうったというわけなんです。
とにかく、ぼくが生まれて今まで目にした部屋の中で、文句無しに一番かっこいいですね。
『好き』が詰まってて、雑然としてて、なのに一貫性がある。
ミニマリズムがクリエイティブマインドを育む、というのはあながち間違いではないと思います。
ぼくがミニマリストをやめた時の話。/インテリアのバイブル②
こちらのブログの著者も、ミニマリストを目指していく過程で強迫観念のようなものを感じていたところ、本来の自分の好きなことを再確認されたようです。
ミニマリズムとは、不要なものをなくして自分の好きなものを見つける効果もありますので、まさにこれを実現したのでしょう。
ミニマリストになるための手段である「モノを減らすこと」に異常にフォーカスしすぎなかった好例かと思います。
ミニマリストの悲惨な末路はどうなるの?
人の好みや生き方はそれぞれですから、教科書通りのミニマリズムにこだわる必要はありません。
「ミニマリスト寄り」だったり、「ミニマリストの傾向がある」でもいい訳です。
もちろん、所有しているモノの数にとらわれて無理に減らそうとすることはナンセンスです。
ミニマリストが行き過ぎてしまうことによって考えられる悲惨な末路にはこんなケースが考えられます。
- 同居人と折り合いがつかず、同棲解消・別居・離婚
- 友達と話が合わず、疎遠になる・ボッチ・絶縁状態
- モノがなさ過ぎて不便な生活を強いられる=ただの貧乏人・極貧生活
- 娯楽や楽しみが一切なく、何のために生きているのか分からなくなる
ミニマリズムへの傾倒が行き過ぎると考え方が異なる人は離れていきます。
人はそれぞれ違った考えを持っているので、衝突しないように折り合いをつけて、一緒にいるときは協調性をもって接することで、同じ時を楽しむものですが、それができなくなると人間関係を築くことはできなくなります。
誰にも理解されず、誰ともかかわらない人生は悲惨です。
また、モノを減らしすぎることによって、楽しみや自分のやりたいことまで見失うと生きる意味が分からなくなります。
何かをするにはモノがあったほうが便利なことも多いです。
モノがあることによって、楽しさや幸せを感じられることもたくさんあります。
そういったモノまで全て手放してしまっては生きていく楽しみまでなくなってしまいます。
ミニマリストになりたいと思った目的は、そんな悲惨な末路を目指していたわけではないはずです。
もし今、ミニマリストを目指している人で、周りから怖いと思われているような空気を感じていた李、もっとモノを減らさなくてはいけないと駆り立てられるような異常性を感じている人がいたら、今一度何のためにモノを減らしたいと思ったのか立ち返ってみることをおすすめします。