【門】夏目漱石が描く「罪と諦念」の心理|独自の読解と舞台・円覚寺巡礼
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「夏目漱石の作品の中で、最も静かで、最も苦しい」と評される小説「門」。
「三四郎」、「それから」に続く前期三部作の最終作であり、世間から身を隠すように暮らす宗助とお米夫婦の、罪の意識に囚われた日常が描かれています。多くの読者は、この閉ざされた静寂の中に「諦念」や「孤独」を感じ取るのではないでしょうか。
しかし、私の読解は少し違います。
この作品は、単なる明治時代の夫婦の物語ではなく、現代人が抱える「見えない罪悪感」や「世間からの圧力」を先取りした普遍的な苦悩の書であると感じました。
特に作中で宗助が訪れる場所や、彼らの生活スタイルには、現代のミニマリスト的な視点からも考察できる気づきが多く隠されています。
そこでこの記事では、「門」のあらすじや基本情報に加え、他の誰も語らない宗助の行動原理に迫る独自の考察、そして実際に訪れた物語の舞台のレポートを交えながら、閉ざされた「門」の内側にある真実を読み解きます。
目次
夏目漱石「門」の書籍概要
タイトル:門(もん)
著者:夏目漱石
発表年:1910年(明治43年)
ジャンル:小説、私小説的
【簡潔な】あらすじ(※ネタバレ注意)
主人公は、東京の閑静な住宅街にある崖下の家に暮らす「宗助」とその妻「お米」。
彼らの平穏な生活は、実は宗助が親友の妻であったお米を奪ったという、過去の倫理的な罪の意識の上に成り立っています。世間の目と後ろめたさから、宗助は深い諦念を抱き、お米と共に人目を避けて暮らしています。
ある日、かつての親友が近くに引っ越してきたことを知り、夫婦の心は再びざわめきます。逃れる術を失った宗助は、妻の静養を兼ねて鎌倉の円覚寺にある叔父を頼り、精神的な救済を求めて禅の修行に臨みますが、煩悩を断ち切ることはできず、再び静かな日常へと戻っていく・・・。
これは、罪の意識から逃れられず、世間との間に自ら「門」を閉ざした夫婦の、静かで諦めを帯びた生活を描いた物語です。
夏目漱石「門」の感想と考察
淡々と過ぎていく質素な生活の真実
地味な生活とはこういう事なのでしょうか。とにかく派手さがないし、浮ついているところもない。 大声で笑ったり、嬉しくてたまらなくて…みたいな瞬間が一切なくて、ただ淡々と生活が過ぎていく。まぁ、不幸という感じはしないけれど、幸せでもないのかな?・・・
読んでいて、「あまり面白くない生活」「こんな人生で楽しいのだろうか?」とか思ってしまいましたが、ミニマリスト思考の私の日々の生活も他人から見たら、まさにこの様に映るのかもしれません。
といっても、私自身としては心の中で大笑いしたり、にやけが止まらない瞬間なんかもあったりするので、まあいいじゃないかと、自己容認はできています。
質素な生活って、本人がそれでよいと思っているならば、何かを諦めているわけではないし孤独でもないんですよね。
真の幸せな生活は今も昔も変わらない
ということで、こんな調子で物語の展開も起伏が少なく、全体の7割ぐらいまでは、退屈な日々の様子が書かれていたのだけれど、ちょっとほっこりする場面はいくつかありました。例えば…
晩食の後御米といっしょにまた縁側へ出て、暗い所で白地の浴衣を並べて、涼みながら、画の話をした。
こんな夜の過ごし方っていいなぁ~。
テレビも、お酒やおしゃれなおつまみも要らないけど、自然の中で、ただ気心の分かり合える人とゆっくりと好きな話をできる時間。
私の理想としては、こういう時間こそが大切で、素敵な時間だと感じました。
実際に、現代人もこういうありふれた日常を愛し、それを求め、これに近い状況を実現しているのではないでしょうか?
例えば、都会のオシャレスポットにお金を払って、友達や恋人とまったりしに行くというのも、求めていることはコレと同じですよね。
だから、「忙しくて、友達と夜ご飯を食べに行ったり、夕食後に夫婦でまったりする時間なんてない!」というケースが多い現代人の方こそ、不幸で愚かなのかもしれません。
現代社会でも通用する過去の手放し方・諦め方
全然話は変わりますが、過去の手放し方としてなんかいいなと思ったのは次のところです。
宗助は苦笑してやめた。
「つまりおれがあの時東京へ出られなかったからの事さ」
「そうして東京へ出られた時は、もうそんな事はどうでもよかったんですもの」
夫婦はこんな話をしながら、また細い空を庇の下から覗いて見て、明日の天気を語り合って蚊帳に這入った。
色々とあきらめている人らしさがもろに出ているけれど、過ぎてしまった過去の出来事を潔く手放すための考え方としてはこれが正解ですよね。
明治時代と平成・令和時代は状況が大きく異なります。モノや希望や便利さがあってもなくても、すべて外膜育なんてことはなく、あきらめなくてはいけないことは誰にだってある。その諦め方が宗助たちの生活のあり方なのですね。
堅実な節約生活は明治時代のミニマリスト
それから、宗助と御米夫婦の地味な生活は節約も徹底していて、節約系ミニマリストみたいだと感じたのはこんな場面です。
宗助の頭の中には、この間から物質上の欲求が、絶えず動いていた。ただ地味な生活をしなれた結果として、足らぬ家計をたると諦める癖がついているので、毎月きまって這入るもののほかには、臨時に不意の工面をしてまで、少しでも常以上に寛いでみようと云う働きは出なかった。
物欲はないわけではないけど、思いが行動を促すまでには至らない感じがまさにミニマリストっぽくて、激しく共感しました。
さらに、この後で不要なものを売る売り方もうまい具合にやっていて、倹約家のリアル感がでていました。
様々な名作にも登場する座禅というツール
さて、この物語の中で、私が好きな部分は後半の寺院で座禅などの修行をする場面です。特に好きなのは瞑想をしている時のこんな表現。
宗助はまた考え始めた。すると、すぐ色のあるもの、形のあつものが頭の中をと織り出した。ぞろぞろと群がる蟻のごとくに動いて行く、あとからまたぞろぞろと群がる蟻のごとくに現れた。じっとしているのはただ宗助の身体だけであった。心は切ないほど、苦しいほど、耐えがたいほど動いた。
瞑想を言葉で表現している芸術作品といえば、ビートルズのジョンレノンが書いた名曲「across the universe」があって、そちらは、「言葉が雨の様に紙コップの中に降り注いで、宇宙の彼方へ消えていく」といった具合で、こちらもすごく素敵ですが、夏目漱石の表現もさすがです。
不可思議な瞑想の気味の悪さと、瞑想をしたくなる時の何かを探している様な心のつらさが感じられました。
最近、自分でも瞑想をしているので、状況を想像しやすく、興味深く読めました。座禅って、広く長く本当に多くの人が使っているツールであるとあらためて認識しました。きっと、効果があるからこそなので、これからも続けたいです。
一番心に残った真のメッセージ
そして最後に、この物語の中で一番心に残ったメッセージは以下です。
自分は門を開けて貰いに来た。けれども門番は扉の向側にいて、敲いてもついに顔さえ出してくれなかった。ただ、「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」と云う声が聞こえただけであった。
自分の人生の答えを探したり、問題解決をするために、自ら考えて行動して、いいところまできているんだけど、肝心なところで人に頼ってしまって、行動したことで満足してしまう事ってあります。
本気で自己改革しようとしてなくて、自分は駄目な人間のままだとあきらめている感じです。
でも、ただ扉を開けるだけ。その扉には鍵もかかっていない。「難しい事ではない。開ければいいのに。」と、第三者的には思ってしまいました。
でも、扉を開けられないのは、勇気がないからじゃなくて、その気がないからではないでしょうか。
最初から本気で変化を恐れずに扉を突破する気持ちをもって行動することをしていかなくちゃいけないんだな…私にはできるだろうか?と…そんな風に、なまぬるい覚悟で行動しているつもりになっている自分に問いかけられている気がしました。
今は分からなくて、どちらかというとちょっと自信がないけれど、「独りで開けて入れ」という声が聞こえたならば、素直にすんなりと自分で扉を開けて、もんをくぐってその先へ進む人になりたいです。
今は、門の前にすらたどり着いていないけれど、何かを目指してそういう場所にたどり着いたら、門を開けられるように、心の準備だけはしておいた方がよさそうです。
質素な生活でも人から孤独にみられる生活でも、自分が好むなら別にいい。ただし、自分の本心でじっくりと考えもせずに、自分にとって大切な事をあきらめてはいけない。決心をしつつ、前に進もう。
ここからは私の想像ですが、門をくぐって人生が変わるという宗助のストーリーもありかもしれません。でも、くぐってもなにも変わらないとか、門をくぐらなかったけど変わるというのもあり。だけど、「お前は門をくぐる人なのか?」とこの本から問いかけられているような気がしました。
この場面でドキッとしたことが、この本を読んでよかったと思う私の読書体験です。
現実と物語が交差する地へ…鎌倉円覚寺訪問記
宗助が座禅をするシーンが好きだったので、その舞台のモデルとなっていると言われている鎌倉の円覚寺にある居士林(こじりん)の雰囲気を、その場に行ってこの目で見て味わいたいと思い、実際に訪れてみました。
鎌倉には寺院がたくさんあり、おそらく行ったことはあるような気がするのですが、記憶があいまいでして、これを機に、どういうお寺なのかも再確認したかったのです。
円覚寺は、北鎌倉駅から徒歩すぐの立地で、石段を登って境内に入るとまず立派な山門があります。有名なのは、国宝の舎利殿・方丈の庭・彫刻が美しい唐門・134段ほどの階段を上った先にある国宝の洪鐘、天井に龍の図が描かれている仏殿です。
そして、仏殿の横道の方に進んでいくと座禅道場の居士林があります。居士林では座禅体験ができるようですが早朝など日時が決まっており、それ以外の時は外から眺めるだけで、私も今回は中を見ることはできませんでした。
実際に訪れてみて、居士林については実は大きな感動はありませんでした。ただ静かにそこにあるという感じです。でもそれこそがリアル。座禅をするときには落ち着いたそういう雰囲気の場所がよいのかもしれません。
一方、思っていた以上にとても迫力があったのは山門です。拒みはしないが、決心を問われているような強さは感じました。
円覚寺の敷地内はとても広く、じっくりと見て回ればまたいろいろと感じる事が出来そうですし、この本の世界観を思い出して新たな気づきが得られるかもしれません、人生に迷った時や、決心したい時などにまた訪れたい場所です。

円覚寺の山門

円覚寺の居士林
まとめ:この本を「誰」に読んでほしいか
夏目漱石という名前は知っていても「門」を読んだことがある人は少ないでしょう。語れるとちょっとかっこいいかもしれません…というのは置いておくとしても、漱石作品の中でも読みやすく、損はない作品です。
私は、読書体験として、自分の日々の生活をふりかえることができ、このままでいいのかな?と自問するきっかけをもらえましたので、この本は、現代人に、求めすぎる事や忙しすぎる事への警告を与え、生き方について問いかけてくれる本であると解釈しています。
なので、なんとなく日々を過ごしてしまっている人や、決断ができない人、これからの生き方を考えている若い世代や自分の人生の後半はどう生きるのかを考えたいシニア層などにおすすめしたい一冊です。
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