手帳や日記は断捨離すべきか?

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手帳や日記は処分に困るものの代表格ですね。断捨離して捨ててしまってよいのでしょうか?

日記や手帳には思い入れが大きい

手帳や日記には個人的な思いがたくさん書き込まれています。

肌身離さず持ち歩いて手垢にまみれた小さな紙には、その時々の思いや出来事が詰まっているのです。

自分の分身みたいなものですね。生きてきた証とか、自分の考えや気持ち、行動したことそのもののように思えることもあるでしょう。

また、知り合いの連絡先、お気に入りのお店の情報、いつどこへ行ったなどの記録など、後で必要になるかもしれない情報が書かれている場合もあります。大事なモノリストみたいな感じですね。

いずれにしても、パーソナルで重要なことが詰まっているのが手帳や日記と言えます。

古い手帳や日記の役割

古い手帳や日記が役に立ったことはありますか?

昔は、押し入れの整理整頓や引っ越しの際に出てきた手帳や日記を読み直して、「こんなこともあったな~」とか、「去年の今頃は忙しかったなぁ」と懐かしむことがありました。

手帳に書いておいた学生時代の友達の連絡先を探して、久しぶりの再会をしたこともあったように思います。

情報管理方法の変化

でも、今は、そのような時代ではなくなりました。

いわゆる「情報化社会」というものです。

激しい川の流れのように、大量の情報が通り過ぎてゆき、海のように広いインターネットやSNSに必要な情報はたっぷりと貯められている。

昔はちょろちょろと流れる小川をさかのぼってみたり、せき止めてみたりと自分で管理していたものが、今はもう、どうしようもない流れの中にいるような感じです。

長いものに巻かれるわけではありませんが、時代を生きていくためには、順応していくことが必要です。

手書きの資料のページをめくって過去を振り返ったり、お手製のアドレス帳で情報を管理するやり方は、使い勝手が悪いだけでメリットがありません。

私自身、手帳や日記を振り返ることをしたいと思わなくなりましたし、なくなっても困ったことは何もありません。

手帳や日記を手放して感じたこと

私には日記をつける習慣はなかったのですが、殴り書きのようなワープロデータが入ったフロッピーディスクが数枚ありました。

手帳は、ポケットサイズのものが数冊あり、これらは、すべて処分しました。

日記について

日記的なワープロデータには、愚痴のようなものをストレス発散的に書いていただけで、内容的に意味が薄いモノでした。惰性で処分できなかっただけです。

フロッピーを再生できる機械も持っていないため、見ることすらできません。なので、躊躇なく捨てることができました。

日記を書くことに意味はあるように思いますが、読み直す必要はあまりないのかもしれません。

見られたら恥ずかしいモノでもあるので、手放したら、隠し事が一つなくなったようなスッキリとした気持ちになりました。

手帳について

手帳のほうは、転職や結婚をした時期のスケジュールが細かく書き込まれているので、記念にとってありました。

生活スタイルがいろいろと変化した時期だったので、時々見直して、自分のやることの進捗具合の指標としていた時期もありました。でも今となっては、年月が経ち、状況もだいぶ変わったので、参考になることがありません。役目が終わったということかもしれません。

また手帳には、古い友人の携帯電話番号も書かれていましたが、だからと言って、連絡を取ることはないでしょう。いざとなったら、SNSで検索してメールすればいいだけです。

手放して感じたこと

日記や手帳をずっともっていると、そのころの自分のやっていたことを正当化させなくてはいけない気がしていました。

当時一生懸命だったことは続けるべきとか、当時と同じように頑張り続けなくてはいけないとかです。

でも、その時々に思うとおりに行動すればそれでいいのではないか?というように、考えが変化しました。

また、記録や記憶を手放してしまうと、二度と取り戻せないような恐怖を感じていましたが、今は、「忘れたことは、その程度のこと」と開き直れています。

忘れることが悪というわけでもありません。そんなに過去を背負っていたら、今のフットワークが悪くなりそうです。

私にとって、日記や手帳は、今を精いっぱい生きるためには少々重たいものだったようです。

手放して、忘れ行くものは追わずに気楽に過ごすことが、今の自分らしさだと感じています。



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